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執筆者の写真aichialeq

長久手古戦場&関連史跡へ~

更新日:2021年6月2日


こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

今回担当しますのは、4年外国語学部の竹内と真木です。長久手古戦場公園とその周辺のスポットについてご紹介します!!春の天気の良い日だったこともあって、心地よく散策する事ができました😀



【長久手古戦場公園】

・激しい合戦が行われたとされる地ですが現在はきれいな公園になっています。芝生では、ピクニックに訪れた家族連れの方々が多くいらっしゃいました。多くの塚も残されており、公園として楽しむだけでなく、歴史に触れることが出来る素敵な場所になっています。


小高くなっていて、丘の上は素晴らしい見晴らしです。

資料館

古戦場公園内では、小牧・長久手の戦いにまつわる資料館があります。パネルや模型でわかりやすく示してありました。観光案内所も兼ねているので、長久手市の観光名所についてまとめたパンフレットや名物も置いてあります。私たちは、ここで「長久手合戦せんべえ」を購入しました。甘くて親しみやすい味でした!2階には、この地域の伝統行事である「棒の手」が紹介されていました。こちらもパネルや人形などで説明されていました。英語での表記もあったので、外国の方でも理解しやすいようになっています。




ここで「長久手合戦せんべえ」を購入しました!



血の池公園

戦いで、血にまみれたい武将たちが刀や馬などを洗い流したと言われている池です。毎年、合戦の日である4月9日に赤く染まったという伝説も残されています。現在は、埋め立てられて公園になっていて、市民の方に親しまれています。

    

石碑を読んで、お勉強しているメンバーの様子。

地元の方がサッカーをして、楽しんでいました!

                                  

【長久手城址】

次に、血の池公園から徒歩3分ほどのところにある長久手城址に行きました!

ここは、長久手合戦の折に徳川方の丹羽氏についていた加藤太郎右衛門忠景という武将の居住跡です。忠景は、合戦で義弟の岩崎城主丹羽氏次の留守を預かり奮闘しましたが、岩崎城は落城し、戦死したそうです。

残された彼の城は後に民家になり、荒れ果てましたが文化6年(1809)に城跡に加藤氏末孫の尾張藩士が当地を訪れ、宅跡の観音堂脇に石碑を立て供養したそうです。その時に立てた石碑が現在も残されており、見ることができます。


【富士社】

最後に富士社です!富士社は長久手城址から徒歩5分ほどのところに入口があり、長い階段を上った先に神社があります。そこまで高い山ではなかったため、段数は見た目ほどなく一気に登れないこともない程度の数でした。山頂までは少し疲れる程度で、比較的気軽に登れる山だと思います!

ここは、駿河(静岡県)に本社がある富士浅間神社の先達・青山重太夫が創建した富士山信仰の社です。長久手合戦史跡の「御旗山」の碑が境内にあります。山自体そこまで高さはありませんが、合戦の折に家康が秀吉の様子を伺うために陣を張ったというだけあって、山頂からは長久手市がきれいに見渡せました。


以上で、「長久手でお散歩してみた!第一弾」の投稿を終わります!!

約一か月にわたり、お送りしてきた現地調査のレポートでしたが、皆さん楽しんでいただけましたでしょうか?最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!

今後も定期的に長久手市の現地調査を続けていき、レポートも更新していきたいと思うので楽しみにしていてください♪


では、また次回のブログでお会いしましょう!!

ありがとうございました~~!!!


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